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イオアン2世( , ? - 1089年頃)はキエフと全ルーシの府主教(在位:1076年 - 1089年)。ビザンツ出身。 == 経歴 == 彼がいつ府主教に就任したのか、正確な日付は不明である。ただし、1077年にはロストフ主教イサイヤを叙聖しているので、その時には府主教であったことがわかる。 1085年頃にはヴォルィーニ地方のヴォロディーメルに主教座を設置し、1088年にはトゥーロフに主教座を設置した。 1086年にコンスタンティノープルにおける総主教座会議に出席したことが知られる。 1089年には、キエフ・ペチェルスキー修道院のウスペンスキー聖堂の献堂を行った。 同年に死去。1083年頃に、対立教皇クレメンス3世にカノン法上の論争で数通の返答を書いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イオアン2世 (キエフと全ルーシの府主教)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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